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​STORY

 主人公・詠はある日突然、知らない世界で目を覚ます。雪の降る森、その景色に見覚えはなく、そこに至るまでの記憶がすっぽりと抜け落ちてしまっている。途方に暮れていた詠は、通りかかった旅人・時雨に助けられ、自分の記憶と向き合いながら一緒に旅をすることに。

​ 時雨は様々な街を巡って、出会った人々の想いや物語を音楽にする「吟遊詩人」であった。かつてとある理由から音楽を辞めた自分とは正反対の生き方をする時雨に、戸惑う詠。

​ 2人が最初に訪れたのは、海辺の街・第3街区。詠はそこで、音楽が大好きな少女・ルナと出会う。ルナは音楽を運んできてくれる時雨の訪れをいつも楽しみに待っており、明るくフレンドリーに接してくれる彼女に詠も少しずつ心を開いていく。3日間滞在する内、ルナの過去の話を聞いたり、時雨とルナが2人で楽しげに音楽する姿を見て、心を動かされる詠。街を後にする際「次に会うときは必ず一緒に音楽しようね!」というルナの言葉を、詠は大切に心にしまう。

​ 次の街へ向かう道中で、詠はこれまで時雨が作ってきた沢山の音楽や、旅の話を聞く。一緒に曲を作ったり、時雨の音楽に対する想いに触れた詠は次第に、「このままずっと時雨と共に旅をし続けたい」と願うようになる。だが眠らない街・第4街区で出会った女性・藍珠との会話の中で、時雨は詠のとある重大な秘密に気づいてしまう。

 何も知らない詠は、母親のように愛情深くて優しい藍珠さんの住む塔で、穏やかなひと時を過ごすものの、様子のおかしい時雨が気になって仕方ない。翌日、次の目的地へと旅立った2人。道中で詠は、時雨に今の自分の気持ち…「ずっと一緒に旅を続けていきたい」という願いを伝えるも、時雨は意味深に笑うだけだった。

 2人が辿りついたのは一年中雨の降るビル街・第9街区。詠はその街の景色に既視感を覚え、同時にその寒くて物悲しい光景に不安を募らせる。「ここで待ってて」と一人取り残され、寂しく時雨の帰りを待つ詠の元へ、謎の少女・寧々が姿を現す

 寧々と話すうち、自分がこの知らない世界にきてどれだけ変わったかを実感する詠。やはりこのまま、この世界にいたい…と決意を固めた矢先、詠は衝撃の真実を寧々の口から聞いてしまい…?

​READING FOR FREE(試し読み)

「言葉は贈り物なんだ。

守り石みたいに、ずっと誰かの大切な支えになるかもしれない物なんだよ。

僕は願わくばそれを、音楽と共に残したい。」

1 無個性な風景画

  
 私は、雪が好きじゃない。

 昔は雪に憧れがあった。少しでも積もろうものなら、かじかんだ手で雪だるまを作ったことを覚えている。毎回次の日には、家の前でペシャンコに解ける、雪だるま。
 大人に近づくにつれ、雪は億劫なものになった。電車はすぐに止まるし、地面が滑るから急いでいる時に走れない。寒いし、冷たいし、濡れるし。良いことが何もない。

 どうして子供の頃は、こんなものが好きだったんだろう。色んな物にそう感じてしまうのは、自分の心に余裕がないからだと分かっていた。

 だけど。今初めて私は、雪を綺麗だと思っている。

 ぼんやりした視界に、鮮やかな黄緑色の木々が見えて。上からはらはら落ちるぼたん雪が、頬に当たってじゅわっと解ける。
 地面に付けていた背を、ゆっくりと起こす。目の前に落ちてきた雪の結晶を、手の平に乗せた。音もなく、結晶は崩れて水滴だけが残る。

 儚い命が、美しいと感じる。

「…?」

 

 改めて辺りを見回すと、見覚えのない森だった。不思議なのは、冬のはずなのに木々には青々と色鮮やかな葉が茂っていること。白い息が視界を覆っているのに、あまり寒くないこと。
 両手をかざしてみた。解けた雪の名残が、つうう…と手首を伝う。湿った赤いカーディガンの袖、足下にはチェックのスカートとベージュのパンプス。この格好は見覚えがある。私が困ったときに着る、量産型チェーン店で買った個性のない仕事服。


 そっと視線を空に向ける。どんよりした曇り空から、白い雪の粒が次々舞い降りる。しばらく、ぼーっと、その風景を眺めていた。どうしてここに居るのか、ここはどこなのか、頭の片隅でうっすらと考えながら。

 どのくらい経ったかは分からない。サク、サク、と雪を踏みしめる、聴き慣れない靴音に視線を下げる。

 向こう側から、大きな雪の塊が近づいてくる…と思ったら、それは人だった。真っ白い衣服を纏った、人だ。髪は短く暗い色で、服装もあまり見かけないマントのような羽織り物。青年のようにも見えるし、ショートヘアの女性にも見える。

 その人影は、私の目の前で止まった。

「…大丈夫?」

 頭上に降り注いだ声は、ハスキーな女の人にも思えたし、少しあどけない青年の声にも思えた。差し出された手は雪と同じくらい真っ白で。その手を取るか躊躇っていると、人影の方がしゃがんで私を覗き込む。

「…濡れてる。いつからここにいたの?」

 私は首を振る。答えられないからだ。見知らぬ人だから警戒しなくちゃいけない、と思う気持ち半分、その人の声は優しくて透き通っていて、悪い人には思えなかった。

 迷った挙げ句、差し出された手を取る。マントの人影はスラッとした外見に反して、存外強い力で私を引っ張り上げた。立ち上がった瞬間、スカートに降り積っていた雪が地面に散る。パン、パンと僅かに付着した雪をはらえば、そっと肩に白いマントが掛けられて。私はようやくその人影と目を合わせる。

 吸い込まれそうな、深い青の眸がこちらを見つめていた。

「向こうにね、街があるんだ。この森は迷いやすいから、君みたいな子は独りでいると危ないよ。良かったら一緒に行かない?」

 切れ長の目は声と同じく透き通っていて、問いかけるその声は温かくて。 初めて会った人なのに、初めてじゃないような気がして。

「…うん」

 久しぶりに発した声は、少し掠れていた。私ってこんな声だったっけ、なんて思いながら。返事を聞いて、微笑んだその人が歩き出す。

 音の少ない、静かな知らない風景の中を。知らない背中について、歩く。

​【第2章 偽神咄-ぎしんばなし-へ続く】

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