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Another story

ここでしか読めない「Minstrel」キャラクターたちの短編小説置き場。

​(不定期更新)

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【Side.StoryⅠ:寧々】

​「…寧々。寧々ちゃん、よね?」

 どのくらい前だったか、もう覚えていない。あの時ボクの名前を呼んだ声も、その表情も、景色も、昨日のことのようにハッキリと脳裏に焼き付いているのに。つい数日前のような気もするし、20年も、30年も前にも感じられる。
 ボクに声をかけてきたその女の人は、濃紺の綺麗なドレスを身にまとっていた。星の綺麗な真冬の夜空みたいなドレスで、瞳は青色、髪は白銀…と浮世離れした見た目をしている人だった。
 彼女がボクの名を呼んだ時、ボクは全く見覚えのないコンクリートの街に一人佇んでいて。雨が降っていた。ざあざあと止む気配のない雨。ずぶ濡れのボクの上に傘を掲げて、その女の人は心配そうにボクをのぞき込んでいた。
 何も持たず、何もわからず、ただ途方に暮れて地面にしゃがみこんでいたボクを。

「…大丈夫?」
「どうしてボクの名前を知ってるの」
 質問に質問で返せば、その女の人はふっと目を細めた。
「知ってるわ。私はこの世界のことなら、なんでも」

 不思議なオーラを纏った彼女は、意味ありげに目配せしてボクに手を差し伸べる。間髪入れずに、ボクはその手をパシン!と払いのけた。驚いて、彼女が手を引っ込める。
「…助けなんかいらない。可哀そう、って目で見られるのはうんざり」
 言いながら、ここへ来るまでの出来事は断片的なのに、昔の嫌な記憶や忘れたいことは全部鮮明に覚えていることに気づいてしまった。ボクを家において毎晩男の人と遊びに行っていた、派手なドレスを着た母。顔も見たことのない父親の話。ゴミだらけで、賞味期限切れの食べ物しか置いていなかった薄暗い家。その家すら出ていくことになって、見知らぬ親戚の家に預けられた日のこと。
 …預けられたんじゃない。捨てられたんだった。
 チラチラと頭の片隅で、忘れてしまいたいような記憶ばかりがボクを責め立てる。

「…可哀そう、なんて思ってないよ。だって可哀そうなこと、何もないし」
 聞こえた言葉に、視線だけ上げる。心は棘だらけで、別に彼女の話に耳を傾けるつもりはなかった。だけど、ボクがどれだけ冷たく睨みつけようと、彼女は怯むことなく穏やかに微笑んでいて。
「”可哀そう”ってこの世で一番、必要ない言葉だよね?同情的で、他人事で、どことなく上から目線で…言う方も言われた方もいい気持ちのしない言葉。」
「…ならなんで声かけたの。見ず知らずの他人なのに」
「え?それが私の役目だから…かな?」
 キョトン、とした瞳でそう告げられて、ボクの中で蠢いていた黒い何かがスッと引いていく。彼女からは、侮蔑も憐みも、本当に感じなかった。今まで出会ってきたどの人とも、違う態度。
「…役目?」
「そうよ。あ、寧々ちゃんは…ええと…ここへ来るまでのこと、覚えているのかしら?」
「…」

​ 問いかけられてもう一度、思い出してみようとした。最低な思い出ばかりの脳内を漁って。
 親戚の家に預けられた後、母親への怒りと憎しみをどうにか鎮めて、普通に暮らそうと試みた。親戚は幸いボクに無関心なようで、何もしてくれない代わりに何も干渉してこなかった。はじめのうちは学校で友達を作ろうと頑張ったけど、人付き合いの苦手なボクは次第に孤立していって、結局一人で本を読むばかりの毎日になった。中学校の3年間は図書室だけがボクの居場所で。何も起こらないまま、高校生になって、16歳になって、それで…。
「あ。」
 声を上げたボクを、女の人が不思議そうに見つめ返す。
「…学校に行く途中で、工事中の道があって、それで…」
「…ああ。そのくだりは、ちゃんと覚えてるのね」
 最後まで言わずとも、女の人はボクの事情を知っているみたいで。
「…じゃあここは?死後の世界なの?」
「そう…ともいえるし、違うとも言えるわ。…驚いたり、取り乱したりしないのね」
 曖昧に答えを濁して、女の人がスッと自然に話題を逸らす。ボクの口元に、苦い笑みが浮かんだ。
「…別に、惜しい命じゃなかったから」
 それを聞いた女の人は、酷く悲しそうに眉根を寄せる。
「…そんなことないよ、貴方は…」
「慰めはいいよ。それで?ボクはどうすればいいの」

 何か言いかけた彼女の声を遮って、ボクは食い気味に問いかける。もう前の生の話はいらない。未練もなければ、悔いもない。戻りたいとか、やり直したいとか、そういうのも一切ない。
 ただ、ボクがまだボクでいることが不思議だった。ボクにまだ「寧々」という名前がついていることが。
「…寧々ちゃんには、この世界でお願いしたいことがあるんだ」
「お願いしたいこと…」
 呟くと、彼女は静かに頷いた。
「ちょっと長い話になってしまうかもしれないから、あそこで話しましょう?」

 そうしてボクは、彼女に連れられるまま近くのビルの階段下に潜り込んだ。雨の当たらないその場所で彼女が話してくれたのは、9つの街に分かれている、不思議なこの世界の説明。
 彼女がボクにお願いしたいのは、この「第9街区」という街の塔にある、ターミナルを守ること。ターミナルというのがとても重要な秘密の隠された施設で、そこにずっと留まってこの世界全体を監視する役目をしてほしいという。
「監視…」
「ずっとこの街に居てもらわなくちゃいけなくなるから、嫌だったら…」
「別にいいよ。やる」
「え?」
 二つ返事で答えれば、彼女は虚を突かれたように目を丸くした。
「自分で頼んだのになんで驚くの?」
「そんなすぐにOKしてもらえると思ってなくて…」
「だって他にやることないし、それに…」
 今までだって、特にやりたいことなんて無かった。人から頼まれごとをする機会なんてなかった。この期に及んで、もう死んでしまって、よくわからない世界にいるというのにそれでも。
 誰かに頼られるというのは、必要とされるのは、少し嬉しい。

「…それに?」
「なんでもない。その”塔”はどこにあるの」
 話を無理やり終わらせて、立ち上がる。頭上の階段から少しはみ出て、前髪がじんわり濡れた。
「すぐそこ…あれよ」
 彼女が指さした先にあるのは、首が痛くなるくらい高くて、真っ黒な冷たい、無機質な建物。所々緑のネオンが光っていて、その「塔」のてっぺんは曇り空に阻まれて見えなかった。
「へえ…」
 あの頂上に、ターミナルがあるのか。ボクがこれから、ずっと住む場所。初めて役割を与えてもらった場所。
 生きている時は、生きるのに精一杯で死んだらどうなるかなんて考えたことも無かったけど。死ぬのも案外、悪いことばかりじゃないらしい。少なくともボクにとっては、こっちの方がずっとずっと…。
「幸せ…かも?」
 
 ボクのその独り言を、隣で悲しげに聞いていた彼女は、ノワールという名前だった。ボクはそれを遥か後に知った。
ノワールに役目を与えてもらったその日から、ボクはずっとターミナルで色んな街を、世界を、人を監視した。
 俯瞰的に誰かのことを観察するのは楽しかった。ターミナルにある無数の本には、それぞれの人の人生が記されていて。ボクの知りえない、あまりにも裕福で華やかな人生。昔のボク以上に数奇で、悲惨な人生。ありふれた、ごく普通のつまらない人生。色んな物語を読んだ。 
 ボクは元々本が好きだったから、毎日本を読んで、街を監視して…そうやって過ごしても少しも苦じゃなかった。…最初の、数年は。
 だけど、いつしか読んでいない本も尽きて、監視するだけの毎日も面白くなくなった。「慣れ」というものは恐ろしくて、始めはあんなに楽しかった日々も次第に飽き飽きしてきた。
 他の街に行きたくても、役目を放棄していくことはできない。どうしてか、ノワールとの約束は…ノワールがくれた役目は果たさなくてはという思いがあった。自分を初めて頼ってくれた人だからか、はたまた彼女の持つ神聖なオーラが…滲み出る人柄の良さがそうさせるのか。
​ なんにせよ、代り映えのない果てしない日々だった。

 途中からボクの楽しみは、別のものに移っていった。時々この世界がバグを起こしたかのように、イレギュラーな出来事が起こる場合があって。
 例えば、まだ死んでいない人間がこの世界に迷い込んでしまうとか。あるいは、死んでしまったにも関わらず元の世界に戻ってしまうとか。そういう、普段とは違う出来事が起こるとボクはわくわくした。
 イレギュラーが起きれば、ノワールが動く。ノワールがボクに会いに第9街区に来る。時には、解決するためにボクが手伝うこともあった。役に立っていると、実感できるのが嬉しかった。
 あとは、途中で…いつからかは分からないが、途中で増えたもう一人の”異分子”に会うのも、ボクの楽しみの一つになった。その人は吟遊詩人を名乗って、色んな街を旅してはボクのところに、沢山の音楽と物語を届けてくれた。
 その人…時雨が運んできてくれる物語は、ボクが読みつくしてしまったターミナルの本とは違うもので。ボクはなるべく長く時雨にこの街に留まってほしいと思ったけれど、いつも時雨は2,3日すると次の街へ行ってしまった。

​ この世界に来て、ボクは意外と自分が寂しがりなのだと知った。
 元いた世界では、他人に何の興味もなかったし、ボクにも関わらないでほしいと思っていたけど。それはボクに向けられる視線がいつだって、冷たくて無機質だったからで。ボク自身が人間を嫌いなわけじゃなかったのだ。
 今更そんなこと気づいたって、もう遅いのに。


 
 そうやって体感としては十年近く、この世界で過ごした。
 毎日毎日、ターミナルのディスプレイから色んな街を眺めている。今も変わらず。
 今日は何も起こらない。
 つまらなくなって、一旦机から立ち上がった。少しほかの階に行こう。何十回読んだか分からない、誰かの人生録でも読もう…と足を踏み出す。
 
 カン!
 鋭い音がして、はたと足を止めた。何かが落ちたような音。咄嗟に床を見渡してみる。少し後ろの床に、いつも前髪を留めている星のピンが落ちていた。
「…あーあ」
 ピンが落ちただけだった、という事実に落胆している自分がいる。何か面白いことが起きたわけじゃなかった。ため息をつきながら、ピンを拾おうとしゃがみこむ。
 ピンに手を伸ばした時。ふっと、視界に何かが映った。現実のものではない、ボクの記憶の中の何かだ。

『…金は寧々、銀は私ね』

 耳の奥で、誰かがそう囁く。聞き覚えのある声だった。ボクより少し高くて、艶やかで、女の子らしい声。銀のピン留めを綺麗な空色の髪に差す手。にっこりと微笑むその眸の色は、髪と同じ水色で…。

「…っ、」
 思い出しかけた何かは、映った瞬間と同じくらい呆気なくどこかに消え去った。残ったのは心臓の、ドクンドクンと煩い鼓動。
 なんだろう、何か大切なことを、ボクは忘れているんじゃないだろうか。
 いつだったか、時雨が言っていた言葉が蘇る。


『凄く大事なことほど、あっさり忘れてしまうのってどうしてなんだろうね。人間は万能そうに見えて、実は全生物の中で一番愚かなんじゃないかって時々思うよ』


 人間が一番愚かなことなんて、とっくの昔にボクは知ってる。人間が一番醜くて、恐い。
 だけどボクが今、一番恐いのは。
「…何を、忘れてるんだろ」
 顔も名前も思い出せない、銀の星のピンを差した、誰か。その誰かを思い出せない、自分自身だ。

 無言のまま、そっと前髪にピンを差しなおす。と、その時ディスプレイからサイレンみたいな音が鳴った。ハッと振り向く。この音が鳴るのは。

『…寧々…!また、一人誰か迷い込んだみたい…』

 ノワールの声が聴こえた。複数ある画面の中から、ボクはその誰かが映ったモニターを探す。
 パッととある1つの画面に目が留まった。
 第2街区の森の中だ。雪の降る静かな森の中に、鮮やかな朱色が。

​ ボクはふっと、口の端歪めて笑った。



​【Next→2023.2.??  「返し唄」MV &ノワール短編小説】


 
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